2014年6月27日金曜日

1-4 宝石のグレーディングの意味と限界

1-4 宝石のグレーディングの意味と限界

①グレーディング・レポートとは

決められた検査項目について調査し、一定の判断を下し、それを報告書としたものです。。
したがって、品質の一部の目安であり、石のだいたいの特徴が分かるため、とても便利なものです。

②日本におけるグレーディング・レポートの誕生

日本では明治から昭和の前半まで広く使用された品質表示はなく、最優秀・上・中・下といった用語が一般的でした。
日本で初めてグレーディング・レポートができたのは1946年(昭和21年)です。
進駐軍が戦時中に国民から買い上げたダイヤモンドの整理を4人の日本人
(久米武夫 松井栄一 城谷三郎 巽忠春)とアメリカ国立スミソニアン博物館の2人
(ヘンダーソン ホーシャック)に依頼しました。
このときのグレーディングは、カラー、クラリティともにABCDEの各5段階表示によって行われました。

③グレーディング・レポートの利用法

・ダイヤモンドに品質の相違や特徴が分かりやすく説明する際に利用します。
それにより消費者が不当に高い価格でダイヤモンドを買わされるのを防ぐことができます。

・業者間で共通の用語で商談できるので、現物を提示せずに事前にある程度の商談を行う際に利用します。

・海外の価格情報を参照する際にも利用できます。
分かりやすく便利であり、他業界からの新規参入も容易になりました。

④グレーディングと価格との関係

グレーディングと価格との関係は、メーカーおよび小売店それぞれの会社で異なっており一様ではないです。
まず、シェイプ、サイズ、カット、グレード別の表を作り、横縦の項目にカラーとクラリティを左からと上から、上位グレードから下位グレードへと記入して、価格指数を記載します。
最後にその時のダイヤモンド価格市場により、調整します。

⑤代表的なグレーディング・システム

グレーディングは世界的に統一されているわけではない。代表的なシステムは
GIA(Gemological Institute of America(1953年))
HRD(Diamond High Council(1976年))
CIBJO(Confederaction International de La Bijouterie Joaillerie, Orfevrerie(1976年))
SCAN(Scandinavian Diamond Nomenclature(1969年))
がある。
カラットの小数点切り捨て、切り上げの違い、マスターストーンの違い、等級の名称違いなどがあります。

⑥グレーディング・レポートを利用するときの留意点

当初、教育目的としてスタートしたグレーディング・システムは、
4Cとそのほかのいくつかの要素のみで等級付けするため、ダイヤモンドの資質の完全な検査報告とは言えません。
また、天然の鉱物結晶は同じものがないので、グレーディング結果が同一であっても、
個々のダイヤモンドには微妙な差異があることを知っておかなければなりません。
ダイヤモンドの美しさは、見る人それぞれの審美眼、価値基準によって判断されるべきで
グレーディング・レポートはその目安として使われるものなのです。

2014年6月26日木曜日

1-3 日本と海外のジュエリー市場

1-3 日本と海外のジュエリー市場

①ジュエリーの小売業で生じている構造的変化

大規模店は進出し売上高は増加傾向にあるが、小規模店の衰退傾向にあります。
小売業者間で企業格差が拡大しています。

②ジュエリーの卸売業で生じている構造的変化

卸売業は小売業に比べ市場規模が大きく減少しています。
(※平成6年-9年の3年間で36%売上高が減少)
減少した要因は二つあります。
一つは景気後退期における在庫調整(小売店の仕入れ調整)。
他は、流通の短絡化という構造変化です。

**流通の短絡化**
日本の流通経路は海外に比べ、多段階で複雑であると言われています。
このことがジュエリーの価格の不透明性につながると言われてきました。
しかし近年、流通効率が改善され、さらにバブル崩壊により価格競争が激化し
より安い小売価格でジュエリーを消費者へ提供できるようになりました。
また、メーカーが製造と並行して直接小売販売を行う垂直統合型の業態も現れました。

③最近の消費者の購買行動の変化

1.商品購入の選択基準
・バブル全盛期:高価格でも高品質志向
・バブル崩壊後:低品質でも低価格志向
・近年      :品質と価格のバランス重視

より賢くお買いものする時代です^^

2.買い物方法
複数の店舗で商品を比較したうえで購入する「比較購買」を行う傾向が強くなってきている。
時間と労力を惜しまず、自分の満足できる商品を探す消費者が増加しています。

3.年齢層ごとのニーズ
・20代、30代:
 自分のライフスタイルや価値観を満たす商品を嗜好する傾向が強いです。
 例えば「恋人とペアでジュエリーを持ちたい」といった「気持ちの表現」の切り口で
 商品を揃えディスプレイする必要があります。
・40代以上:
 伝統的・専門的な品ぞろえを望む傾向が強まります。
 宝石の輝き、色合いなどの伝統的な価値を重視する顧客層は、
 販売員の専門知識を重視することが予想されます。

④消費者や市場環境の変化に対する方策とは?

・自店の顧客層や立地条件の特性を明確にした上で、顧客ニーズを捉えること。
・自店の強みや特色を見極めて、アイデンティティを確立し、他店との差別化を行い、
 独自の付加価値を提供すること。

・・・具体的には、
☆情報化の推進!
 POSシステムや配送システムにより、在庫管理・販売管理はもちろん、
顧客情報を瞬時に検索することで、コーディネート販売を効率よく行うことができます。

☆卸売業者からのリテール・サポート
卸売業者が持つ、幅広い情報(販促活動や催事企画、市場動向など)を基に、
「広告・販促の企画および実施支援」や「従業員教育支援」「消費者調査支援」が可能であり、
小売業者より望まれている。

⑤日本と欧米のジュエリーの消費市場の違い

・欧米
ジュエリーに関して長い歴史を持っており、ジュエリーが生活文化の中に広く根付いており、
幼少期から身に付ける習慣もあるため、商品選択にも自分自身の価値基準を持っています。
また、ジュエリーは携行できる資産としての役割も果たしてきたため、
再販市場が存在しており、個人が手持ちのジュエリーを再販できます。
このことも、消費者の選択眼を養う要因となっています。

・日本
歴史的に長い間ジュエリーを身に付ける習慣がなかったこと、
ジュエリーの大衆化が戦後わずか30年余りに期間に急速に発展した経緯から、
ジュエリーに関する消費者の蓄積が欧米に比べて少ないです。
ようやく近年、消費者は価値と価格のバランスを重視する段階に達し、
ジュエリーに対して自分自身の価値基準を持ち始めています。

⑥日本と欧米のジュエリー流通システムの違い

日本と比べ、流通構造は短絡化・効率化が進んでいます。
海外メーカーからの直接的な売り込みやメーカー販売代理人を通しての取引も多いためです。
また広い国土をカバーするため、通信販売などの無店舗販売が発展しており、
流通経路の種類は多様でかつ流通段階は短いです。

1-2 「ジュエリーの価値」について

1-2 「ジュエリーの価値」について

100万円のジュエリーを身につけても、寒さがしのげるわけでも空腹が満たされるわけでもないです。
なぜ人は大金をはたいてジュエリーを買うのでしょうか。

①宝石の価値って何だろう

*使用価値*
それを使うことによって、より美しくなり、より一段上の人に見られること、
さらには自分のセンスの良さを示すといった、自分の優れた感覚を表現することにあります。
つまり、使わないと買う意味がなく、楽しんで使って初めて価値が生まれるものなのです。

*交換価値*
市場で再度販売するに値する宝石は、一定水準以上のものでなければならないです。
この一定水準以上の宝石であれば、どんなに使用しても素材としての交換価値を低めることはありません。(破損などしていない限り)
ただし、売買差益の追求が目的であれば、宝石よりも金地金を進めるべきです。
なぜなら、宝石は購入時の売価を売却時の時価原価が越えるときに利益が出るが、
いつ越えるかどうかは予測できることではないためです。
金地金なら、商品価格は時価となり、この時価の上下のみ確認すればよく予測しやすいです。

②使用価値・交換価値

近代経済学の祖であるアダム・スミスは「水とダイヤモンドのパラドックス」といわれる経済学で
使用価値
交換価値
について提起されている理論です。
ただしここでは、使用価値が水のように人間の生存に必要なものと定義しているため、
ダイヤモンドは使用価値はなく、交換することで財産を得られるため交換価値価値があるものとしています。

2014年6月25日水曜日

1-1 近代日本におけるジュエリー発展史

はじめに

このブログはジュエリーコーディネーター2級をとるべく、ノート代わりに作成したものです^^
がんばるぞ!!

1-1 近代日本におけるジュエリー発展史

****日本のジュエリーの歴史を簡単に**********************************************
日本のジュエリーの歴史は世界的に見てもとってもユニーク!

縄文時代から古墳時代までは、腕輪・耳飾りといった他国の装身具とほとんど変わりません。
(※勾玉(まがたま)とか石釧(いしくしろ)とかは日本独自)

ところが、飛鳥・奈良時代からこつぜんとジュエリーの姿が消えます(*○*;)エッ
しかも、こつぜんと消えてしまった原因は未だ不明。
(※櫛とか簪程度しかなくなったよ。)

そして、明治時代、ジュエリーが姿を現わします。
安政5カ国条約により鎖国終了したからです。
(※幕末の安政5年(1858年)に江戸幕府がアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダの5ヵ国それぞれと結んだ条約)
服装や住居の洋風化が始まり、ジュエリーは洋装する場合の必需品となっていきます。

外国から来るものをただただ見ているだけではないのが日本人!
さっそく自分で作ることを考え、ジュエリー産業は発展していくのです(・▽・)オオ

がしかし、昭和の戦時経済体制となり、贅沢品が禁止されジュエリー産業が衰退していきます。

そして戦後、ジュエリー業界は再スタート!
贅沢品を禁止されていた前の時代から生きていた人たちはこぞってジュエリーを買いあさります。
我慢していたからこそ、もう欲しくて欲しくてたまらない!
そうしてジュエリー業界は日本は世界屈指の宝石王国へと変身するのです(’▽’)スゴイナー

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①明治初期、ジュエリー産業が比較的容易に設立されたのってどうして?

 理由1.質が良く豊富な人材がたくさんいたから!
一つは、明治4年(1871年)廃刀令執行により、刀剣や甲冑を装飾していた人たちが錺職に転向したもの。
(※金属を加工してブローチや簪(かんざし)などをつくる職人)
他は、そもそも名工(金工・象牙細工・木彫りなど)がたくさん日本にはいたもの。
例えば、明治以前に実用工芸品を作っていた人、宗教用品製造に従事していた人がそれにあたります。

理由2.水晶産業はすでに発達していた。
優れた水晶が産出する御岳、それを加工する甲府により、水晶の研磨技術が古くから発展していたようです。
そして開国により、外国人土産の生産で発展を続けます。
(※ただし御岳の明治18年に大火事により、名実ともに水晶加工の中心地は甲府となる)

 理由3.ジュエリーを扱う小売商の増加。
・袋物商によるジュエリー販売。
(※印籠・巾着・煙草入れを作り売ってた人)
・時計屋さんによるジュエリー販売。
(※明治10年(1877年)服部時計店開業)
・明治25年ごろから宝石専門店増加。
(※服部、天賞堂、丸嘉、安藤七宝、御木本)
・明治40年代には百貨店に宝石装身具部門登場

②物品税率の変化

~準戦時体制時~
・昭和11年(1936年)
 二・二六事件
・昭和12年(1937年)
 贅沢品物品税 20%課税(北支事変特別税法
(※日中戦争の経費確保のための臨時税法)

~戦後~
・昭和20年代
 戦前の贅沢税を踏襲 100%課税   ←製造課税
・昭和23年(1948年)
  70%課税
・昭和26年(1951年)
  50%課税
・昭和28年(1953年)
  20%課税 免税点1,500円 第1種物品税
(※1500円まで税金かからないですよってこと)
・昭和34年(1959年)
  20%課税 ←店頭課税となる
・昭和37年(1962年)
 免税点5,000円
・昭和39年(1964年)
 東京オリンピック
・昭和41年(1966年)
 免税点15,000円
・昭和48年(1973年)
 15%課税 免税点25,000円
・昭和56年(1981年)
 免税点37,500円
・昭和58年(1983年)
 ダイヤモンドへの関税がゼロとなる。

平成元年4月の消費税(一律3%)導入までこの課税は続きました。

③戦後、ダイヤモンド市場が日本に生まれたきっかけって?

理由1.国有ダイヤモンドの放出!
戦時中、国民から格安で強制的に買い上げたダイヤモンドが昭和41年(1966年)放出されました。
明治・大正生まれのジュエリーになじんだ経験をもつ人々は、とにかくジュエリーであれば何でも欲しい!
百貨店や専門店に行列ができました。

理由2.世界のダイヤモンドを牛耳るデビアス社の日本上陸!
昭和41年(1966年)ダイヤモンド・プロモーションサービス(DPS)とダイヤモンド・インフォメーション・センター(DIC)を設立。
市場拡大の手法として、日本人の冠婚葬祭好きに着目しました。
そして婚約市場のほとんどが未開拓であることに注目し、従来の結納という慣習を
婚約指輪というロマンチックなもので代用させることで市場を開拓しました。
このキャンペーンは大成功します!
・・婚約指輪の取得率・・
昭和45年(1970年) 16%
昭和47年(1972年) 29%
昭和54年(1979年) 60%
昭和55年(1980年)代 75%強(ピーク!)

 ④ジュエリー業界に新しい風!チェーン形式の小売店誕生

昭和55年(1980年)代、ジュエリーをいわゆるプチプラとして求める消費者層が誕生。
この消費者層は若年層が中心となる市場です。
この市場に対応できたのは老舗ではなく、大胆な商品作りと出店政策、そして広告を重視した
新興の企業でした。

⑤日本は世界第2位のジュエリー大国となる。

昭和61年(1986年)よりバブル経済全盛をバックグランドとして、ジュエリー市場はほぼ3兆円となりました。
ダイヤモンドと金では、世界生産量の30%を
プラチナでは60%を日本で消費したのが平成2年(1990年)のことでした。
こうして1990年代初頭は世界第2位のジュエリー大国となったのです。

・・・・しかしバブル崩壊(1992年頃)とともに、市場は低下。
2004年には1兆2000億円強まで縮小しています。