2014年6月25日水曜日

1-1 近代日本におけるジュエリー発展史

はじめに

このブログはジュエリーコーディネーター2級をとるべく、ノート代わりに作成したものです^^
がんばるぞ!!

1-1 近代日本におけるジュエリー発展史

****日本のジュエリーの歴史を簡単に**********************************************
日本のジュエリーの歴史は世界的に見てもとってもユニーク!

縄文時代から古墳時代までは、腕輪・耳飾りといった他国の装身具とほとんど変わりません。
(※勾玉(まがたま)とか石釧(いしくしろ)とかは日本独自)

ところが、飛鳥・奈良時代からこつぜんとジュエリーの姿が消えます(*○*;)エッ
しかも、こつぜんと消えてしまった原因は未だ不明。
(※櫛とか簪程度しかなくなったよ。)

そして、明治時代、ジュエリーが姿を現わします。
安政5カ国条約により鎖国終了したからです。
(※幕末の安政5年(1858年)に江戸幕府がアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダの5ヵ国それぞれと結んだ条約)
服装や住居の洋風化が始まり、ジュエリーは洋装する場合の必需品となっていきます。

外国から来るものをただただ見ているだけではないのが日本人!
さっそく自分で作ることを考え、ジュエリー産業は発展していくのです(・▽・)オオ

がしかし、昭和の戦時経済体制となり、贅沢品が禁止されジュエリー産業が衰退していきます。

そして戦後、ジュエリー業界は再スタート!
贅沢品を禁止されていた前の時代から生きていた人たちはこぞってジュエリーを買いあさります。
我慢していたからこそ、もう欲しくて欲しくてたまらない!
そうしてジュエリー業界は日本は世界屈指の宝石王国へと変身するのです(’▽’)スゴイナー

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①明治初期、ジュエリー産業が比較的容易に設立されたのってどうして?

 理由1.質が良く豊富な人材がたくさんいたから!
一つは、明治4年(1871年)廃刀令執行により、刀剣や甲冑を装飾していた人たちが錺職に転向したもの。
(※金属を加工してブローチや簪(かんざし)などをつくる職人)
他は、そもそも名工(金工・象牙細工・木彫りなど)がたくさん日本にはいたもの。
例えば、明治以前に実用工芸品を作っていた人、宗教用品製造に従事していた人がそれにあたります。

理由2.水晶産業はすでに発達していた。
優れた水晶が産出する御岳、それを加工する甲府により、水晶の研磨技術が古くから発展していたようです。
そして開国により、外国人土産の生産で発展を続けます。
(※ただし御岳の明治18年に大火事により、名実ともに水晶加工の中心地は甲府となる)

 理由3.ジュエリーを扱う小売商の増加。
・袋物商によるジュエリー販売。
(※印籠・巾着・煙草入れを作り売ってた人)
・時計屋さんによるジュエリー販売。
(※明治10年(1877年)服部時計店開業)
・明治25年ごろから宝石専門店増加。
(※服部、天賞堂、丸嘉、安藤七宝、御木本)
・明治40年代には百貨店に宝石装身具部門登場

②物品税率の変化

~準戦時体制時~
・昭和11年(1936年)
 二・二六事件
・昭和12年(1937年)
 贅沢品物品税 20%課税(北支事変特別税法
(※日中戦争の経費確保のための臨時税法)

~戦後~
・昭和20年代
 戦前の贅沢税を踏襲 100%課税   ←製造課税
・昭和23年(1948年)
  70%課税
・昭和26年(1951年)
  50%課税
・昭和28年(1953年)
  20%課税 免税点1,500円 第1種物品税
(※1500円まで税金かからないですよってこと)
・昭和34年(1959年)
  20%課税 ←店頭課税となる
・昭和37年(1962年)
 免税点5,000円
・昭和39年(1964年)
 東京オリンピック
・昭和41年(1966年)
 免税点15,000円
・昭和48年(1973年)
 15%課税 免税点25,000円
・昭和56年(1981年)
 免税点37,500円
・昭和58年(1983年)
 ダイヤモンドへの関税がゼロとなる。

平成元年4月の消費税(一律3%)導入までこの課税は続きました。

③戦後、ダイヤモンド市場が日本に生まれたきっかけって?

理由1.国有ダイヤモンドの放出!
戦時中、国民から格安で強制的に買い上げたダイヤモンドが昭和41年(1966年)放出されました。
明治・大正生まれのジュエリーになじんだ経験をもつ人々は、とにかくジュエリーであれば何でも欲しい!
百貨店や専門店に行列ができました。

理由2.世界のダイヤモンドを牛耳るデビアス社の日本上陸!
昭和41年(1966年)ダイヤモンド・プロモーションサービス(DPS)とダイヤモンド・インフォメーション・センター(DIC)を設立。
市場拡大の手法として、日本人の冠婚葬祭好きに着目しました。
そして婚約市場のほとんどが未開拓であることに注目し、従来の結納という慣習を
婚約指輪というロマンチックなもので代用させることで市場を開拓しました。
このキャンペーンは大成功します!
・・婚約指輪の取得率・・
昭和45年(1970年) 16%
昭和47年(1972年) 29%
昭和54年(1979年) 60%
昭和55年(1980年)代 75%強(ピーク!)

 ④ジュエリー業界に新しい風!チェーン形式の小売店誕生

昭和55年(1980年)代、ジュエリーをいわゆるプチプラとして求める消費者層が誕生。
この消費者層は若年層が中心となる市場です。
この市場に対応できたのは老舗ではなく、大胆な商品作りと出店政策、そして広告を重視した
新興の企業でした。

⑤日本は世界第2位のジュエリー大国となる。

昭和61年(1986年)よりバブル経済全盛をバックグランドとして、ジュエリー市場はほぼ3兆円となりました。
ダイヤモンドと金では、世界生産量の30%を
プラチナでは60%を日本で消費したのが平成2年(1990年)のことでした。
こうして1990年代初頭は世界第2位のジュエリー大国となったのです。

・・・・しかしバブル崩壊(1992年頃)とともに、市場は低下。
2004年には1兆2000億円強まで縮小しています。

 
 

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